不動産鑑定とは関係のない話。
今年(2005年)もフランスのボージョレの新しいワインを味わうことが出来た。
フランス本国よりも早く、又アメリカよりも早く今年の新酒のワインを、皇居のお堀端に面するホテルで、昨年と同様に味わうことが出来た。
ムッシュソーマ氏の計らいによる新酒会である。
テーブルには、フランスから直送され、未だ封印された赤紫色したワインの大瓶がずらりと並ぶ。
瓶のラベルには生産者名のマクセンス・ベソンの名前のほかに、「ムッシュソーマ」とフランス語で書かれている。
ムッシュソーマ氏によれば、今から20年程前に、フランスのボージョレ地区のワイン生産組合の方々が、
「日本人は金持ちだから、ボージョレのワインを買ってくれるだろう。」
と考え、ワインの売り込みにやって来た。
しかし、酒屋も百貨店も一本も買ってくれなかった。見向きもしてくれなかった。
販売ゼロで明日はフランスに帰らなければならないとひどく落胆していた。
その話を親族から伝え聞いた若い女性が、自分の勤める事務所の所長に話した。
話を聞いた男気のある所長は、「儀を見て為さざるは勇無きなり」とばかり、
「それは気の毒だ。よし、買ってやろう。何本買えばよいのか。」
と聞いた。
返事は、
「100本。」
という。
日本のどこの店も会社も買ってくれなかったボージョレのワインを、男気のあるムッシュは、希望通り100本買い上げた。大瓶の100本である。金額も半端な金額ではない。
日本に売り込みに来たボージョレ地区のワインの生産者達は、最後の土壇場で自分達の立場を救ってくれた男に大変感謝した。
男の名前の前に「ムッシュ」とつけて感謝の意を示した。
ワイン100本を購入した男気のあるムッシュは、「三越百貨店」の包装紙で知り合いの人々に購入したワインを贈呈した。
包装に「三越百貨店」の包装紙を、どういういきさつで使ったかは、ムッシュは云わないから、分からない。
ワインを贈られた人の中に、そのワインの旨さに惚れ込み、包装紙の三越百貨店に、同じワインを注文した人々がいた。20本の注文が入ったという。
驚いたのは三越百貨店である。
商売の種が、何の苦労もせずに、相手先から飛び込んで来たのである。
これは商売になると判断するのは当然であろう。
商品、製造元、販売市場の調査を充分行い、2年後、三越は大々的にボージョレ・ヌーヴォーを宣伝し、フランスワインの新酒を売り込んだ。
ボージョレ・ヌーヴォーは、その後、燎原の火のごとく日本中に広まった。
近年の毎年11月のボージョレ・ヌーヴォーの、恒例となりつつある騒ぎを見聞きすれば、三越の商品事業企画担当者は、「してやったり」の境地では無かろうか。
ワイン通によれば、ボージョレ地区のブドウの樹種は「ガメイ種」という。
ボージョレ地区の属するフランス・ブルゴーニュー地方の赤ワインは、「ビノ・ノワール種」から造られるが、ボージョレ地区のみは「ガメイ種」の赤ワインであるという。
それはボージョレ地区の土壌が花崗岩質で、その土壌がガメイ種に甚だ相性がよくあったためという。
私のボージョレ・ヌーヴォーの知識はこの程度である。後はワイン通に譲る。
フランス人も律儀で、義理堅いところがある。
ボージョレ・ヌーヴォーを、日本で広めるきっかけを作ってくれた日本の男気のある人への恩を忘れず、その男にムッシュの称号をつけ、フランスに招待し、名誉村民として大切に処遇する。
そして村一番のブドウから作られた新酒のラベルに「ムッシュソーマ」と刷り込み、日本に毎年送ってくれる。
そのおこぼれにあずかり、1922年よりワインを造っているドメイン・デュ・ペンロア農園の、ラベルに「ムッシュソーマ」と刷り込んである「ボージョレ・ヴィラージュ・ヌーヴォー 2005」のワインを今年も口に出来たことは、大変有り難いことである。
ムッシュソーマこと大先輩の相馬計二氏に感謝する。
ボージョレ・ヌーヴォーについて述べた記事は、下記の鑑定コラムにも有ります。
鑑定コラム313)「2006年ボージョレ・ヌーヴォー」
鑑定コラム485)「今年のボージョレ・ヌーヴォーは甘かった(2008年11月)」
鑑定コラム606)「ホテルニューオータニでのムッシュソーマの新酒会」
鑑定コラム708)「ムッシュソーマの最後のボージョレ・ヌーヴォー」
鑑定コラム2503)「ボージヨレ・ヌーヴォーとムッシュ相馬」