ショートへのボテボテのゴロだった。
テキサス・レンジャーズの遊撃手アンドラスは、ボールをつかんで一塁ベースを見た。
一塁ベースのすぐ手前を、イチローは全力で走っていた。
そのイチローと一塁ベースとの距離をとっさに見た遊撃手は、捕球したボールを一塁に投げてもアウトに出来ないと判断し、ボールを投げることをあきらめた。
大リーグ9年連続200本安打という新記録が、達成された瞬間であった。
テキサス・アーリントンのレンジャーズのホームグランドのまばらな観衆は、立ち上がり大リーグ新記録の快挙に拍手を送った。
ゲームはストップした。
ゲームが何故ストップしたのか、はじめはイチローは分からなかった。
ゲームのストップの意味がやっと分かったイチローは、一塁ベースに立ち、ヘルメットを少し挙げ、控えめに観客の拍手に答えた。
108年振りに大リーグの記録が破られた。108年前と言うと1901年である。
元号で言えば明治34年である。
アメリカでは、もうその頃からベースボールが職業として、存在して居たのである。歴史の古さを改めて実感する。
マリナーズのワカマツ監督は、共同通信のインタビューで、
「108年振りに記録が更新されるのを見るのは、特別の瞬間だった。目と目が合って彼がホッとしているのを感じた。」
と言う。
ゲーム終了後の合同記者会見で、イチローは、記録達成した一塁ベース上でどう思ったのかと記者から聞かれて、
「解放された。
人との戦いに終わりを迎えた。」
と答えた。
人との戦いとは、8年連続200本安打の記録をもつ108年前のウイリー・キラーを指すと思われる。
「解放された」という言葉の意味は、奥深いものであろう。
何から解放されたかは、本人しか分からないが、記録への目に見えないプレッシャー、恐怖からでは無かろうか。
ヤンキースの監督としてヤンキースの黄金時代を築いた現ドジャースの監督のトーリー監督は、同じく共同通信のインタビューに対して、
「敵としては非常に厄介な、完璧な選手」
とイチローを評す。
同じ米西海岸に本拠地を持つエンゼルスのマイク・ソーシャ監督は、時事通信のインタビューで、イチローについて次のごとく話す。
「彼のように才能と技術が合致した選手は少ない。
打ち損じを内野安打にする才能は、彼独自のもの」
という。そして、米野球殿堂入りについては、
「間違いない。
今後、真剣に検討される対象になるだろう。」
という。
そういうソーシャ監督もワールドシリーズ優勝監督であり、現在ア・リーグ西地区のトップチームを率いている。
レンジャーズ3戦の前に、マリナーズはエンゼルスと3戦を戦った。
その3戦で、イチローは1安打しか打てなかった。
イチローを14打数1安打に封じ込んだ監督である。
カズミア、ウイーバー、ラッキーというア・リーグを代表する3人の投手にイチローは、完全に手玉にとられてしまった。エンゼルスにはもう一人、サンタナという優れた投手が居る。
イチローの200本安打の達成は、エンゼルス3戦で足踏みさせられてしまった。
ソーシャ監督は、イチローの才能を高く評価しながらも、捕手出身だけあって、完全にイチローの料理の仕方を知っている。
大リーグは、投手の配球のサインを監督が出している。
イチローは、14打数1安打という無様な打撃成績をいつまでも残している訳にはゆかない。エンゼルスの名将ソーシャ監督の頭脳と戦わなければならない。
マリナーズの同僚の選手達は、試合後手荒い祝福をイチローに施した。
ケン・グリフィーが、ロッカー室でイチローを捕まえ、イチローが逃げられないように肩車に乗せ、シャワー室に担ぎ込み、ビール等あらゆる飲料水をイチローにかけて、祝福したとグリフィーは話す。
イチローは、合同インタビューで、
「グリフィー、監督、チームメートに今年は助けられた。」
と感謝の辞を述べた。
ケン・グリフィーとイチローが、試合前のグランドでのストレッチで、子犬が戯れるごとく、戯れあっている姿が衛星テレビの画面によく映る。
グリフィーはいう。
「イチローをくすぐると、イチローは良くヒットを打つんだ。」
と。
2009年9月14日(日本時間)、イチローが9年連続200本安打という大リーグ記録を樹立した時の、マリナーズのスターティングメンバーを記す。
1番 右翼 イチロー 2番 中堅 グティエレス 3番 一塁 ロペス 4番 DH スウィニー 5番 三塁 ベルトレー 6番 左翼 ホール 7番 遊撃 Ja.ウイルソン 8番 二塁 Jo.ウイルソン 9番 捕手 ジョンソン 投手 ヘルナンデス