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2024年1月1日に能登半島地震が発生し、石川県の能登半島は、大変の被害を受けた。
地震の被害は大きく、その傷跡が深く残されており、一時避難した人が未だ多く故郷に帰れない状況が続いている。
2024年3月16日に北陸新幹線が金沢から敦賀まで延伸開通した。
開通まで50年の年月がかかった。
東京と福井は2時間51分、敦賀は3時間8分で繋がる事になった。
東京〜金沢間は2時間25分であったが、金沢以遠の北陸新幹線が停車する駅と、東京からの所要時間は、下記である。
東京〜金沢 2時間25分
東京〜小松 2時間40分
東京〜加賀温泉 2時間43分
東京〜芦原温泉 2時間55分
東京〜福井 2時間51分
東京〜越前たけふ 3時間6分
東京〜敦賀 3時間8分
(注)運行列車タイプにより、列車到着時間に差があります。
福井、敦賀が東京の経済圏と直に繋がる事になった。
1年後、5年後或いは10年後に、それぞれの北陸の都市はどの様に経済力の変化が及ぼされているのであろうか。
それを判断する一つの方法として、不動産の面から家賃がどう変化するかという点から、北陸新幹線延伸による地域経済力の影響を見ることが出来ると私は思う。
その分析の判断基礎となる2024年3月の2DK(面積40u)の家賃は如何ほどであるか記す。数値は、全国宅地建物取引業者協会連合会のホームページに発表されている家賃数値である。u当り単価は田原の計算による。
2024年3月 石川県
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地域
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2DK(40u)円
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u単価 円
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金沢市
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43400
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1085
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小松市
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41600
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1040
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加賀市
|
31300
|
783
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かほく市
|
-
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白山市
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53900
|
1348
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能美市
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40000
|
1000
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野々市市
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40900
|
1023
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河北郡 津幡町
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48500
|
1213
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河北郡 内灘町
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37300
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933
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2024年3月 福井県
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|
地域
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2DK(40u) 円
|
u当り単価 円
|
|
|
|
福井市
|
56000
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1400
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敦賀市
|
|
|
小浜市
|
52000
|
1300
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大野市
|
47500
|
1188
|
勝山市
|
|
|
鯖江市
|
59000
|
1475
|
あわら市
|
36100
|
903
|
越前市
|
42300
|
1058
|
坂井市
|
40000
|
1000
|
吉田郡 永平寺町
|
63200
|
1580
|
丹生郡 越前町
|
|
|
大飯郡 高浜町
|
50700
|
1268
|
大飯郡 おおい町
|
63000
|
1575
|
来年の2025年3月に金沢、福井の2DK住宅の家賃がどうなっているであろうか。どれ程上がっているであろうか。
なお、ちなみに著書『改定増補 賃料<地代・家賃>評価の実際』P173(プログレス)に記載されている平成24年(2012年)4月の上記各市の2DKのu当り家賃は下記である。
金沢市 1,125円
小松市 1,103円
加賀市 1,003円
福井市 1,090円
越前市 1,338円
あわら市 1,275円
2024年5月26日(日)の大相撲令和6年夏場所は、千秋楽を迎え、日本体育大学相撲部より角界に入り、幕下付け出しから7場所目の小結の大の里が初優勝した。
初日横綱の照ノ富士にすくい投げで勝った。大関3人のうち五日目に霧島に寄り倒しで勝つ。六日目に琴櫻に寄り切りで勝つ。11日目には3人の大関のうち残り一人の豊昇龍には、下手投げで土俵に叩き付けられ背中に土をつけて負けた。
しかし、横綱、大関2人を敗かして12勝3敗の堂々たる成績の優勝である。
小結の地位にある大相撲の上位位置にいる力士であるが、未だ力士の象徴である大銀杏の髷が結べないちょんまげの力士である。それだけ出世が早いということである。二所ノ関部屋所属である。
二所ノ関部屋親方になってまだ間もない稀勢の里親方は、初めての優勝力士の出現である。
稀勢の里も親方冥利に尽きるであろう。
大の里の出身は石川県津幡町と聞く、金沢の北隣の町である。
大学生の時、友達の友達のオートバイを借りて、能登一周の旅行をした。
旅の終わりに、倶利伽羅峠に立ち、ここが木曾義仲が牛の角に松明をつけ、平家軍勢7万人の大軍に急襲を掛けて勝った倶利伽羅峠の戦いのあった場所かと感慨にふけった事を想い出す。
その倶利伽羅峠は、津幡町にある。
大学の先輩でもあり、私が尊敬する弁護士で最高裁の裁判官になられた中川了滋氏の出身町でもある。
インターネットの図書館である青空文庫が、岩波書店が発行している岩波現代文庫の 「現代語訳 平家物語(下)」を、ネット公開している。
それの「現代語訳 平家物語第七巻尾崎士郎訳」の「倶利迦羅落し」の個所を転載する。
平家物語が伝える倶利伽羅峠の戦いとはどういうものか、大相撲初優勝の大の里の故郷で生じた平家没落の端緒となった倶利伽羅峠の戦いを知ることも無駄では無かろう。
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https://www.aozora.gr.jp/cards/001529/files/60798_75893.html
現代語訳 平家物語第七巻尾崎士郎訳
「倶利迦羅落し」
礪並山(となみやま)をはさんで向い合った源平両家の軍勢は、その間、僅か三町という近さに対陣しながら、一向に動き出す様子がなかった。
源氏も進まず平家も進まず、源氏が、弓の精兵十五騎をくり出し、上矢の鏑を平家の軍に射こめば、平氏も又同じ十五騎で、十五の鏑を返すという有様である。
源氏が三十騎出すと、平家方も三十騎、源氏が五十騎になると平家も五十騎、源氏方は、一時でも時をかせぐつもりだから、はやる将兵を戒めて、勝負をさせない。
平家はこんな術策があろうとは夢にも知らず、便々と日の暮れるまで、このばかばかしい戦いを続けているのであった。
やがて、いつかあたりも暗くなり、人の姿も定かには見えなくなった頃、北南より廻った搦手(からめて)の一万余騎が、頃は良しと倶利迦羅堂前あたりで落ち合い、箙(えびら)をたたき、一度にどっと鬨(とき)の声を挙げた。
これに呼応するかのように大手の木曽勢は、日宮林の六千余騎、松長の柳原、茱萸(ぐみ)の木林の一万余騎も、どっとばかりに鬨の声をあげる。
四万余騎の鬨の声は夕闇の山々にこだまして、頭上に何千という雷が落ちかかってきたようであった。
慌てたのは平家である。
「確かに囲りは岩石ばかりで、搦手から廻られるとは思ってもみなかったのに」
とぼやいたところで後の祭であった。
腹背に敵をうけて逆上した平家の軍勢は「帰せ、帰せ」という、必死の下知も何のその、もう命が惜しいばかりに、後へ後へと泡を喰くらって逃げ出した。
ところが後は、名にし負う倶利迦羅谷が、闇黒の口をあけて待っている。
先の者が見えなくなるから「ああ後に道があるのだな」とばかり我もわれもと、谷を目がけて押寄せるので、さしもに深い谷も、みるみるうちに人と馬とで埋まってしまった。
子は親の後を追い、弟は兄を追い、それぞれ家来は主の後を追うというわけで、あらかたの平家の軍勢が、倶利迦羅谷の露と消えた。
中には、平家方の主だった侍、上総大夫判官忠綱、飛騨大夫判官景高、といった一騎当千のつわものも含まれていた。
大力を以て聞えた瀬尾太郎兼康(せのおのたろうかねやす)は生捕となり、火打城で裏切った平泉寺の斎明威儀師も捕われ、即刻、首をはねられた。
七万余騎の平家勢の内、辛うじて助かったのが二千余騎、大将維盛、通盛も、漸く命だけは助かって加賀国に逃げのびた。
翌くる日義仲の許へ、奥州藤原秀衡のところから、駿馬を二頭送ってきた。
一頭は黒白毛、一頭は連銭葦毛(れんせんあしげ)の、二頭とも稀に見る逸物であった。
義仲はそれに銀の鞍をつけ、白山神社へ戦勝のお礼のために神馬として遣わした。
倶利迦羅谷の一戦に大勝を博した木曽勢は志保山に廻った。
十郎蔵人の軍の様子が気にかかったので、四万余騎の中から、特にえりすぐった二万余騎を引連れて、援軍にかけつけた。
途中、氷見(ひみ)の湊(みなと)を通るとき、折からの満潮で、深さが見当つかない。
義仲は、咄嗟(とっさ)に鞍を置いた馬十匹を水の中に追い放った。
水は丁度、鞍と端(はし)と[#「鞍と端と」はママ]すれすれのところで、無事に十匹は向う岸に着いた。これをみてすかさず、二万余騎が、どっと湊を渡った。
志保に着いてみると、行家の軍は、平家側に散々てこずって疲労の色が甚しく、一息入れているところだった。
義仲は、新手二万余騎を、平家の三万余騎の真中へ突入させた。
先刻からの激戦で疲れている上に、新手の敵の勢に、平家方も、ここを先途と戦ったがついに空しく攻め落された。
平家の大将、三河守知度は、この戦で討死した。
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底本:「現代語訳 平家物語(下)」岩波現代文庫、岩波書店
2015(平成27)年4月16日第1刷発行
※著者名は、本来は「尾※(「山+竒」、第3水準1-47-82)士郎」です。
入力:砂場清隆
校正:みきた
2022年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
上記で「青空文庫」の名前が出て来たが、「青空文庫」については、鑑定コラム1099)「落合ダムと小説」で記している。その部分を転載する。
「上記アドレスは、「青空文庫」という団体が、ネットに公開している葉山嘉樹の短編小説『セメント樽の中の手紙』のアドレスである。
同団体は、著作権の保護期間の過ぎた小説等文学作品を、インターネットで無料公開している団体である。
その「青空文庫」創始者である富田倫生(とみたみちお)氏が、平成25年8月16日61歳で亡くなったことを時事通信がニュースとして伝える。
「青空文庫」を利用したものの一人として、富田倫生氏の功績を称え、ご冥福を祈る。」
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