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396)マイナス17度Cの街から

 2007年の暮れも近く、セ氏−17度の街に行ってきた。
 猛吹雪の中の不動産鑑定現地立合調査である。

 吹雪の中でのデジカメに、対象地及び建物が果たして写っているかどうか心配しながら、シャッターを押した。

 道路は雪で固められ、歩道の脇には除雪された雪が小山を築いている。
 建物の屋根には、およそ30cmを超える雪が積もっている。

 雪に埋もれていて道路と敷地との境界がどこなのか分からない。
 巻き尺で道路の幅員を測ることなど出来ない。歩測ではかろうにも境界が分からず、かつ道路脇の雪の小山が邪魔して歩測すら出来ない。
 市の道路管理課の道路台帳で幅員を確認するということにした。

 境界石は雪に深く埋もれており、建物の敷地の範囲は、案内人がおおよそ指し示す目印の植木やブロック塀を信ずる以外方法は無い。

 雪国の冬の土地境界の確認を、雪国の不動産鑑定士の方々はどの様にして行っているのであろうかと、私は聞きたくなってしまった。

 雪国の雪中の吹雪の中の不動産鑑定の現地確認を初めて経験した。

 年内(2007年)に現地だけでも見ておいて欲しいという依頼者の要望もあり、暮れも押し詰まった2007年12月25日・26日に、天気予報が「雪」と出ているのを承知で空路旭川に行ってきた。

 空港から旭川市内までのタクシーから見える景色は、全て雪に覆われた景色である。
 タクシーの運転手に、
 「見える雪はどの位積もっているのか。」
と聞けば、
 「およそ40cm位かな。」
と言う。

 道路は黒い地面が見えない。
 車は固められた雪の上を走っている。

 雪の旭川に初めてやって来た。

 年明け早々に鑑定評価額をということもあり、正月は遅れに遅れて滞っている賃料の仕事と旭川の鑑定の仕事に費やされそうだ。

 何ヵ所かの現地を、依頼者である不動産所有の企業の重役が、およそ半日かけて車で案内してくれた。

 物件を見るために移動する車の中で、案内者と話した。
 案内者は生粋の旭川っ子の人であった。
 旭川で生まれ育ち、旭川で働き生活してきていた。

 その案内者が言うには、北海道の第2の都市である旭川の景気は良くないと言う。

 北海道で2番の人口を抱える都市ですら景気が良くないと言うのであれば、一体どこが景気が良いのか。
 「景気の良いのは札幌か。」
と問えば、札幌も景気良くないと言う。
 札幌にも企業の営業所をもっているため、札幌の経済事情にも案内者は詳しい。

 旭川は何の業種が特に悪いのかと聞けば、
 「全体的にどの業種も売上が落ち込んでいるが、特に旭川の特産である家具業が悪い。」
という。

 売上が半分から1/3に減ってしまっているという。
 家具製造業は加工分業体制の業種で、職としての裾野が広く、この業界が不景気であることは、旭川の景気、所得、小売業への売上、税収に大きな影響を与えることになる。

 私は旭川が「旭川の家具」のブランドを持つ家具の産地であるとは知らなかったが、北海道の中で、家具の製造出荷額のトップは旭川であるという。
 そのトップ産業が振るわないのである。

 「家具業の不景気の原因は何か。」
と問えば、
 「いろいろあるが、最大の要因は、中国から安い家具が輸入されて来て、市場を奪ってしまう。」
という。

 「又か。」
と私は思った。

 瑞浪の窯業も中国製の安い価格によって市場を奪われ、壊滅的な打撃を受けていた。
 旭川の家具製造業もそうらしい。

 「中国製と旭川製を使い較べれば、旭川製の方が、デザイン、使いやすさ、仕上の細やかさ、堅牢さで優れているのだが。」
と案内人は言う。

 寒い北海道で育ったミズナラの樹による家具は、「持ち」が違う。
 しかし、購入者は値段の安い中国製品に向いてしまうらしい。

 旭川市民の一人として生きている案内人は、市の主要産業で、明治以来培われてきた伝統産業である家具業が衰退していくことに、一抹の寂しさを感じているのである。

 北欧の家具として、デンマークからイルムスの家具が日本にも入って来ている。その家具を好む日本人はいる。

 旭川の家具の特徴を何とかアピールして旭川家具業界の復活を願う。

 旭川の家具業の現状が案内者の言うごとく悪いのか、数値で確かめてみようと思い、瑞浪の窯業の場合と同じく、旭川市役所のホームページで、同市の産業統計数値を調べてみた。

 経産省の工業統計調査によるものである。旭川の家具業の数値は下記のごとくであった。

                  平成6年     平成16年
        事業所数    105       60
        従業員数        2154人      1052人 
        製品出価額      246億円          114億円

   平成16年の数値と平成6年の数値と較べると、

        事業所数は0.57
        従業員数は0.49
        製品出価額は0.47
の水準である。

 10年間でいずれもほぼ半分になっている。
 これは平成16年の数値である。平成19年12月の数値はもっと悪くなっていると思われる。

 製品出価額は半分以下になっている。
 製品出価額は売上高に相当する。

 企業において売上高が30%以上減じたら、それは倒産域と言われている。
 −53%の売上高減であれば、倒産する企業が続出するのは充分予測される。

 平成6年に105事業所が、平成16年に60事業所になっていることは、そのことを如実に示している。

 案内者が旭川の地元の家具業の衰退を嘆くのは、数字ではっきりと裏付けられた。
 このまま旭川の家具業を衰退させ、無くすつもりなのか。

 旭川の主産業の一つである家具業を建て直す何らかの強力な政策が、家具組合を主体にして、市、道、国に求められるのでは無かろうか。

 「市民として国民として税金のみ払ってくれれば良い。後は会社・個人の自助努力である。企業が倒産しても私たちは知らない。」
と、市・道・国はまさか言わないであろう。

 もし、そう言うならば、民間企業は売上が半分に減り、従業員は半分に減らされ、失業した従業員は路頭に迷っているのである。そうした従業員の働きによって得られた利益の税金で市・道・国の公務員も食べているのである。市・道・国の公務員も半分に減らすべきでは無かろうか。

 自分達は失業、生活の不安が全く無く、知らぬ存ぜぬ自助努力だと言って、税金のみ取り上げ、ぬくぬくと生きながらえることは、人の生きる道としてアンフェアであろう。役所の身勝手な論理との誹りを受けるであろう。

 旭川のホテルに宿泊したが、ホテルは中国人のツアー客でいっぱいであった。 そのにぎやかなこと。耳にキャンキャンと響く甲高い中国語にはいささか閉口した。

 冬の北海道旭川に旅行に来る中国人はかなりの豊かな階層の人々である。
 折角、旭川まで来てくれているのである。この人々の一部で良い。家具製造工場見学に向かわせ、旭川の家具の良さを売り込むことは出来ないものだろうか。

 上海は中国建国以来のマンション、ビルラッシュである。
 ここに、高級品の旭川家具を売り込む方法もあるでは無かろうか。
 良い家具を好む中国人は必ずいるであろう。

 かっての20年前、日本人は金持ちだからと言って、フランスのボージョレ地方のワイン製造の組合の人々が、日本にボージョレのワインの売り込みに来た。一人の男気のある日本人の行為によって、ボージョレヌーボーが日本に定着した。
 ボージョレ地方のワイン組合の人々が日本に売り込みに来なかったら、一人の男気のある日本人が存在しなかったら、現在のボージョレヌーボーのブームは無い。
 
 無駄と思って、上海に旭川家具の売り込みに行ってみることだ。

 旭川の不動産の評価で、旭川を訪れたのである。
 旭川の土地価格が、現在どれ程の水準にあるのかを記す必要もあろう。
 又、土地価格に旭川の経済の不景気がどれ程反映されているかということを知る材料にもなるかもしれない。
 国交省が発表している旭川の住宅地の、各年1月1日現在の平均価格は下記の通りである。
 括弧内の数値は年間土地価格変動率である。

  (旭川市住宅地平均価格 u当り円)
    平成2年    u当り 30,100円       −
    平成3年    u当り 30,700円       −
    平成4年    u当り 31,300円       −
    平成5年    u当り 31,200円       −
    平成6年    u当り 31,100円       −
    平成7年    u当り 31,600円       −
    平成8年    u当り 32,400円       −
    平成9年    u当り 32,600円      − 
  平成10年    u当り 33,000円       −
  平成11年    u当り 33,100円       −
  平成12年    u当り 33,000円       −
  平成13年    u当り 32,900円       −
  平成14年    u当り 32,700円       −
  平成15年    u当り 32,500円       −
  平成16年    u当り 31,800円     (-2.2%)   
  平成17年    u当り 30,100円     (-5.3%)  
   平成18年    u当り 28,200円     (-6.3%)
  平成19年        u当り 26,800円     (-5.0%)

 旭川市の住宅地の価格のピークは、平成11年でu当り33,100円である。

 東京の土地価格は、バブル経済を象徴するごとく平成2年がピークである。
 平成2年以降、東京の地価は大幅に下がり、住宅地で1/2〜1/3、高度商業地では1/5の価格まで下落した。

 旭川市の住宅地の価格は、世の中がバブル経済の崩壊と騒ぎ苦しんでいる時にもかかわらず、上がり続けていた。

 東京では地価は下がっているのに、地方では地価は上がり続けていた。
 これが東京から地方への土地価格影響伝播速度の実際であるのであろうか。
 タイムラグで言えば、9年間の差である。

 宿泊した翌日、メデアは、旭川の気温はセ氏マイナス17度で、今冬の最低の記録であると報じていた。


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