次年子の蕎麦とは?。
山形県の大石田に行って来た。
不動産の鑑定の仕事である。
大石田は最上川の上流にあり、かっては船着場で賑わった町である。 最上川は芭蕉や子規そして山形が生んだ斉藤茂吉によって四季の姿を歌われている。
五月雨を集めて早し最上川 芭蕉
ずんずんと夏を流すや最上川 子規
最上川逆白波のたつまでにふぶくゆうべとなりにけり 茂吉
大石田の最上川の流れは急でなく、穏やかであった。
評価対象地の現地案内後、案内人はおいしい蕎麦を紹介すると言い車を走らせた。峠の山道と、山と山の間の猫の額程度の盆地に小さな田が続く農山村の道を車は走った。農耕を放棄した谷津田がいたるところで目に付く。5〜6軒ほどの農家集落が見えてきた。街道より少し入った坂道途中の農家の前で車は止まった。
「ここです」と案内人は言う。
田舎の農家である。看板が一つ出ていた。「七兵衛そば」という看板であった。
以前はたたきの土間であったと思われるところが蕎麦の製作所兼料理場であり、年輩のオバチャン達が作業していた。農家を改造したそば店である。
農家の座敷に上がり、そばを待った。
丼に入ったもりそばが出てきた。
そばつゆは辛み大根おろしの絞り汁に、カツオをダシにしたと思われる濃厚なそばつゆを、自分で加えて味加減を調整して食べるものであった。大根の辛みが強烈であった。
打ち終えたそばは茹でたあと即座に冷水にさらされた為か、身は引き締まり冷たかった。太く、短く、ボキボキしている。二八そばを超えたそば粉100%に限りなく近いそばであった。まさしくそばの味であった。
旨かった。
1,000円でそば食べ放題というが、ボリュームのあるそばを何杯も食べられるものでは無い。2杯で充分であった。
山形にはそばのおいしい店が多いが、ここのそばはその中でもおいしいものと案内人は言う。そしてそば通が通うそばであるという。それらの話はなる程と頷ける味であった。
訪れた時はお盆も過ぎ幾日かということもあってか、来店者は少なくすいていた。多い時は店先に人が並び30分、一時間待ちの行列も珍しく無いという。雪の多い鄙びた山村の田舎の農家の前に仙台・秋田ナンバーの車がひしめくという。
「味は人を呼ぶ」と言うのか。「そば好きは遠くをいとわず」の格言が実証されているようである。
「七兵衛そば」のある地区は「次年子」(じねんごと読む)と呼ばれる地区である。3メートルに近い豪雪のため、師走に生まれた子は役所への出生届が、翌年の雪の解ける春先になってしまう土地柄であることから次年子と付けられたという。本当かなと思うが、真偽の程は分からない。
地名に残される程に雪深く、厳しい自然環境の中で生活する農家の人々が、受け継ぎ育んできたそばの技術である。戸数30戸程度の過疎の部落に、「次年子のそば」を求めて県内外ナンバーの車が店前に群をなすとは、見事な村興しである。
大石田の土地価格は、山形県の基準地価格で大石田駅より1.6kmが平方メートル当たり8,400円(2001.7.1現在 大石田町横山)である。次年子の地域は大石田駅より約12kmの距離にある。
大石田駅より1.6kmから5kmまで1km当り20%の土地価格減、それ以遠は1km当り10%の土地価格減とする。
1.6kmから5kmまでの土地価格修正率は0.8の3.4乗で0.468、5kmから12kmまでの土地価格修正率は、0.9の7乗で0.478である。
8,400円×0.468×0.478=1,879円≒1,800円
次年子の土地価格は、平方メートル当たり1,800円(坪当り6,000円)と求められる。反当り180万円である。
果たしてこの土地価格前後で、次年子の土地が取引されているかどうか。もっと高いか。あるいはもっと安いか。それとも取引は全く無いか。仮説が合っているかどうか、実証するデータを探すことだ。それが鑑定だ。
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