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「アイヌの言葉を話す人は、もういないという。
130年間の間に、アイヌの人々の言語は、消え去ろうとしている。
日本文化が、アイヌの文明と文化を滅ぼそうとしている。
魏志倭人伝に登場する卑弥呼たちは、どういう言葉を話していたのか。
今の日本語と同じなのか。
違うのか。
違うとすれば、どう違うのか。
その糸口が、アイヌの言葉に残されている可能性が全く無いとは言い切れない。
言語は、一度消滅すれば、再びそれを取り戻すことは不可能である。
消え去ろうとする日本の少数民族の人々の言語、習慣を守り、引き継ぐこと、そして保存してゆく責任が、日本人にはある。
歴史学者は、文献を非常に大切にする。
しかし、それら文献は当時の学者が造ったものではない。学者でなく、過去のその当時に生きた人々が書き残した記録である。
学者は、他人の造った記録を分析するのみで、自らが生きている現在の状況を、過去の人が行ったように、自らが記録に残そうとすることをしない。
歴史学者の身勝手さがここにある。」(ある小説『潮への回帰』より)
*
私の友人の一人が、何を思ったのか。
最近自分の生まれ育った故郷に住む人々の暮らしや、風俗行事等を後世に残そうと、一人の放浪する俳人の姿を通して、3年がかりで記録映画を作ろうとしている。
勿論一人では作れるものではない。
多くの人々との協働によるものであるが、その映画のプロデューサーになって、撮影開始を始めた。
その映画のパンフレットで、プロデューサーである友は、次のごとく述べる。
ある俳人が、「放浪を続けながら、伊那に残した俳句と共に、伊那の人々の暮らしや風俗行事等を後世に伝え」たいと云う。
そしてパンフレットは、ほかいびと俳人が、「見たであろう伊那谷の自然と景色、伝統文化の映像は、後世に伝えたいメッセージでもある。」と高らかに宣言する。
映画の名前は、『ほかいびと〜伊那の井月〜』という。
放浪の俳人とは、井上井月(いのうえせいげつ)という。
私は、その様な名前の俳人は知らない。
伊那地方の人々は、井月をこよなく愛している。
それ故に井月の歩んだ道と読まれた俳句を綴りながら、井月の見たであろう今も続く伊那の祭りや風俗行事を記録に残そうとするのであろう。
芥川龍之介は、井月を絶賛している。
また井月は、山頭火に影響を与えた俳人という。
井月の映画は、「井上井月顕彰会」(会長 株式会社協和会長堀内功) が協賛金を集めて制作する。
同顕彰会の役員には、「かんてんぱぱ」の商品名で、寒天製品製造で驚異的な利益を上げている伊那食品工業株式会社の会長である塚越寛氏も名前を連ねる。
協賛金で制作する映画であり、制作趣旨に共鳴し、私も幾ばくかの金額の寄附をした。
映画制作に協賛される方は、どうぞ少ない金額でも良いですから寄附されんことを望む。
映画の監督は、映像民族学を専門にする北村皆雄氏である。
北村皆雄監督は、井月の映画で何を描きたいかについて、次のごとく述べている。
「今の時代に必要なのは、人の絆の再構築、共同体の再構築をすることではないか。井月の映画を通じてそのことを描きたい。・・・・井月は新しい。」
と。江戸末期から幕末そして明治20年初めに生きた井月に、北村監督は「新しさ」を見出している。その新しさとは何か。
井月を演じる役者は、田中泯(たなかみん)である。
田中泯は、現在NHKの日曜日の大河ドラマ『龍馬伝』で、吉田東洋を演じて居る人である。
吉田東洋は、土佐藩の藩政に参与し、開国・公武合体派の考えを持っていたが、これに対して反感を持った攘夷派の武市半平太率いる土佐勤王党によって暗殺される。実質的には武市半平太が、吉田東洋暗殺の指示を出している。私は、他人を暗殺する指令を出す人を根本的に好きになれないし、尊敬出来ない。
武市半平太は、行友李風作の新国劇の戯曲『月形半平太』のモデルとなって、演劇・映画に多く描かれている。
「月様、雨が…」
「春雨じゃ、濡れてまいろう」
という台詞しか私は知らないが。
田中泯は、藤沢周平原作、山田洋次監督の映画『たそがれ清兵衛』に出ていた。そしてその映画で第26回日本アカデミー最優秀助演男優賞を受賞している。
『たそがれ清兵衛』のどこに出ていたかというと、最後の、映画として最高のクライマックスのシーンに剣の達人として登場する余吾善右衛門の役を演じていた。
海坂藩のお家騒動が勃発し、余吾は藩の命令に従わず一軒家に立てこもってしまう。
剣は藩随一の腕前であり、余吾を倒せるのは真田広之が演じるたそがれ清兵衛しかいないと判断され、清兵衛は藩の命令で余吾と立ち向かうことになった。
一軒家に入ると、余吾は清兵衛に、
「お主と少し話しをしたい」
という。
今迄の人生の話を始める。そして、
「俺を見逃してくれ。」
と清兵衛に頼む。
しかし、清兵衛が小太刀で闘うと聞いて、余吾は烈火のごとく怒る。
それから、二人の壮絶な斬り合いが始まる。
一軒家の中で死ぬか生きるかの殺陣のシーンが、今でも私の脳裏に鮮やかに残っている。
その余吾を演じたのが、田中泯である。
映画「ほかいびと」で井月を演じる田中泯は、「ほかいびと」の映画について、次のごとく云っている。
「井月には共感する自分が居る。
井月の「一度限り」を追いかけてみることで、私の解析が始まると想うと、何と私は運の良い男であるのか。
誰に感謝したらよいだろうか。」
と。
伊那の風俗行事を撮りながら、映画の撮影は現在進んでいる。
その井月の映画のプロデューサーである友の名前は、平澤春樹という。
北村皆雄監督、田中泯主演の記録映画である。
良い映画になるであろうと期待する。
ただ心配なことが一つある。
映画制作に一度携わると、かなりの人は何故か知らぬが、映画の魅力に惹かれのめり込んで行ってしまう。映画制作には、人をのめり込ませる魔力が潜んでいるようである。
友が、その虜にならないことを願っている。
しかし、人生を振り返り、自分が生きてきた人生の証しを、社会に残したい気持ちもあろう。
そのことを思うと、のめり込むなということもあまり強く言えない。
『ほかいびと〜伊那の井月〜』の公式ブログに、撮影クランクインとなるための記者会見で挨拶をするプロデューサーの姿がある。
下記のアドレスの画像で、左側で立って挨拶しているのが、友である『ほかいびと〜伊那の井月〜』の映画のプロデューサーである。
http://livedoor.blogimg.jp/inoueseigetsu/imgs/f/7/f7a8ede8.JPG
『ほかいびと〜伊那の井月〜』の公式ブログに、撮影状況が日々綴られている。下記のアドレスである。
ブログ名 花曇り*peace in the mist
アドレス http://blog.livedoor.jp/inoueseigetsu/
訪問して見て下さい。伊那地方の風俗行事、祭りの撮影状況の写真が載っています。
そのブログで紹介されている一枚の写真に、私の目は止まった。
下記アドレスの写真である。
http://livedoor.blogimg.jp/inoueseigetsu/imgs/9/b/9b362244.JPG
白い雪が頂きを覆う木曽山脈をバックに、田中泯扮する井月が、一人丘の上に立つ姿のスチール写真である。
背後の雪を被る山のうち、中央真ん中奥でツンと少し尖っている山は宝剣岳か?
えぐられてカール状になっているのは、氷河時代に氷河にえぐられて造られたという木曽駒ヶ岳の千畳敷のカールか?
寒々とした雰囲気を漂わせる信州伊那の冬の厳しい状景が、見事に映像として切り撮られている。優れたカットだ。
井月、雪を被る山を見て何を想う。
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