○鑑定コラム
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何十年か昔に卒業した坂下中学3年D組のクラス会が、平成24年10月の末、愛知県の蒲郡の海に面した温泉の出るホテルで開かれた。
参加者は男女合わせて15名である。
私がクラス会に初めて参加したのは、4年程前の熱海での会であった。
去年は欠席したが、今年は参加した。
クラス会は、もう数十年も続いているという。
他の同窓クラスの人々からうらやましがられているという。
会が存続していることは、クラス会をまとめるに優れた人がいることと、熱心な参加者が少なからずいることであろう。
「毎年の参加は厳しい。
来年は不参加にしたい。」
と私が漏らすと、
「何を言うんだ。
参加しなければならない。
不参加は認めない。」
と強く拒否される。
同窓会に出て、同窓の友と話していると、
「おれも大学に行きたかった。」
とぽつりという。
この言葉は、私にとって、私の心に重くのしかかる。
当時の私が学んだ中学校では、大学まで行く人はクラスに1人か2人しか居ない時である。
そう発言する友は、余程大学に進学したかっただろう。
行きたくても行けなかった。
その心根を知ると私は、何も言えなくなる。
料理が盛られた食膳を前にして、次々運ばれるご馳走に舌鼓を打ち、久しぶりに会った友と話し、酒も体に廻り始めると、宴席に用意されているカラオケ装置が働き始める。
「タクジ唄え!」
という命令口調の言葉が飛んで来る。
東京で、月一回賃料の話をする「田原会」というものが有志によって開かれている。
45歳前後の独立開業の男女の中堅不動産鑑定士が中心になって、毎回15名くらいが都心に夕方集まって、私を講師にして私の賃料評価の話を聞く勉強会、懇親会を開いている。
その会の名前は、私の名前をつけて「田原会」と呼んでいる。
田原会が終わると、近くの銀座のカラオケ店に場所を変え、カラオケの時間が始まる。
私は早く帰るが、時には朝方まで唄い込んでいたという話も後で聞く。
毎回、カラオケ店に私はつきあっていないが、カラオケ店に行った時、最初に私が口火を切って唄うことになっているようである(?)。
私が口火を切って唄う歌は、いつも「若者たち」という歌である。
蒲郡の同窓会にも、私は青春を懐かしみその歌を歌った。
「君の行く道は
果てしなく遠い
だのに何故
歯を食いしばり
君は行くのか
そんなにしてまで
・・・・・・・・・・」
ザ・ブロードサイド・フォーが唄った歌で、作詞藤田敏雄、作曲佐藤勝である。
昭和41年頃、同名のテレビドラマの主題歌でヒットした曲である。
私がマイクを持って「若者たち」を唄い始めると、何と、かっては見目麗しき若き乙女であった女性が走ってきて、横でマイクをもって一緒に歌い出した。
これには私はびっくりした。
しかし、まんざら悪い気はしない。
飲めや歌えやのクラス会は、終わりに近づいた。
カラオケのマイクを持った二人が、
「別れることはつらいけど
仕方がないんだ君のため
別れに星影のワルツをうたおう
・・・・・・・・・」
と宴最後の歌となった「星影のワルツ」(千昌夫唄 白鳥園枝作詞 遠藤実作曲 昭和41年)、を唄い出すと、誰が機転を利かしたのか、それまで食膳の前に座って話をしあるいは歌を聴いていた人々を立ち上がらせた。
そして15人が一つの大きな輪になり手をつなぎ、つないだ手を大きく振って、「星影のワルツ」を、カラオケに合わせて全員一緒に歌い出した。
「星影のワルツ」の大合唱である。
その光景は、あたかも幼稚園児が手をつないで歌うがごとく。
我が愛すべき中学の同窓生である。
同窓会とは関係が無いが、同窓会が開かれた蒲郡の住宅賃料は、u当り900円である。
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